薬師寺のなかの東院堂
東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り建立した仏堂である。薬師寺の中心伽藍の廻廊の外側に位置しているが、国宝に指定されている白鳳時代の聖観音菩薩立像を拝みにこられる人が多い。薬師寺の境内は広く、拝観券で廻れる箇所も多いので、見落としてしまっているかたもおられるのでは、と思い今回取り上げてみた。

平面構成と内部空間について
東院堂は、身舎に4面庇がまわるという至ってシンプルで、オーソドックスなもの。向拝も外陣もないので、横長の平面である。内部にはいっさい壁がなく広々としている。その中心に須弥壇が置かれ、聖観音菩薩立像が祀られる厨子が乗っている。厨子の扉はいつでも開かれており、いつでもご本尊の姿を拝むことができる。古い形の仏堂にしては、明るい空間であると感じる。前の扉があけ放たれ側面の一番前の扉もあいていて、風がよく抜ける印象だ。中世の仏堂というと、密教とともに発展してきた印象がつよい。密教建築は、中が暗く、一般の人が入れる外陣は仏様のおられる内陣と結界(菱格子など)で仕切られる。外陣からは内陣の様子がよく見えないようになっていて、神秘的な演出がなされている。それに対して、東院堂は、開放的で神秘的とは少し違う印象をうける。もう少し、親しみやすい感じがする。建立当初にそのようなことが狙って設計されたわけではないかもしれないが、いろいろな形式が整理されて系統立てられた現在では、相対的に見てそのように感じる。
シンプルと繊細と力強さの共存
軒廻や組物などについては、装飾的な要素が少ない明快な構成が特徴的である。装飾といえば木鼻や懸魚くらいなものである。斗栱は出組で、丸桁は面が丸くとられていて古式を踏襲している。軒廻はどちらかといえば木割が小さく感じられ、垂木は密な印象。軒反りは中世らしい張りのある適度な弾力をもつ。平安のやわらかさと禅宗様以降の強烈さの間。室内では天井に目を奪われる。とても密な格子が組み入れられた小組格天井である。似たような印象の天井は同じく奈良市にある霊山寺本堂でもみることができる。東院堂の再建年は弘安8年(1285)、霊山寺本堂は弘安6年(1283)。もしかして、同系統の宮大工によるものだろうか。
中世の時代にあって、このような古典的な建築が見られるのは奈良くらいではないだろうか。そもそも地方では建てられなかったのか、現存はしないが造られてはいたのか、それは分からない。






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