社寺建築

奈良県

信仰の複雑さと深さを想わせる空間をもつ當麻寺曼荼羅堂

當麻寺曼荼羅堂の外観はわりとすっきりまとまっている。建物自体が大きいものであるが、かなり高い基壇の上に建ち存在感がある。社寺建築は緩やかな傾斜地に建つことが多いため、背面より正面の基壇が高くなることも多いが、當麻寺はそれにしても高い。背面も高い。石階段7段くらいはあった気がする。繊細な曼荼羅堂を守るためだろうか
奈良県

當麻寺 東塔・西塔の特別開扉

2022年8月現在、土日祝に東西両塔の初層御開扉が行われている。案内の方に興味をそそられる話を伺ってきたので、いくつかご紹介させていただく。東西の塔建立にはタイムラグがある。東塔は奈良時代、西塔は平安時代である。近年行われた西塔の保存修理に伴う調査によって、西塔の創建は東塔よりも古い可能性が浮上してきたのだそう。
奈良県

正統な構成、正統な美。中世の奈良建築のひとつの理想形 薬師寺東院堂

東院堂は、身舎に4面庇がまわるという至ってシンプルで、オーソドックスなもの。向拝も外陣もないので、横長の平面である。内部にはいっさい壁がなく広々としている。その中心に須弥壇が置かれ、聖観音菩薩立像が祀られる厨子が乗っている。厨子の扉はいつでも開かれており、いつでもご本尊の姿を拝むことができる。
奈良県

薬師寺東塔-緩急のリズムと全体構成美-

薬師寺東塔は、平城遷都から間もなくの天平2年(730)に建てれらたと伝わる(『扶桑略記』(平安時代)による)。建立年について、平城遷都に際して新築されたという説と、藤原京から移築してきたという説で長らく議論が行われてきたようである。
奈良県

法隆寺という場所について今思うこと

東海地方でそだった筆者がはじめて法隆寺を訪れたのは小学生の修学旅行であった。その頃は、歴史にはまったく興味はなく、法隆寺に対しても興味を持っていたという記憶はない。なんだか地味だし、世界最古の木造建築といわれてもピンとこないし。逆に、金閣寺のような、ピカピカの建物が池に移りこむというわかりやすい美しさに惹かれており、その様子を絵に描こうと何度も試みた記憶はある。
和歌山県

緊張感のある折衷様の中世仏堂 長保寺本堂

長保寺の創建は、寺伝によれば平安時代中期の長保2年(1000)。年号をとって「長保寺」とされた。中世本堂の事例として非常に貴重であり国宝に指定されている。装飾はごく控えめではあるものの、軒反りが大変強く、張り詰めた雰囲気を持つ。向拝柱の礎盤、肘木の笹繰、桟唐戸などの禅宗様の特徴をもつ。細部が破綻なくまとまっていて美しい建築である。鬼瓦が、ゴリラのような顔をしていて愛らしい。これは、奈良県東大寺近くの瓦道という瓦屋さんが製作されたものだそう。
寺院

社寺を彩る彫刻についての検討事項

社寺建築では、古くからいろいろな部分が絵様(えよう)≒彫刻によって飾られてきた。懸魚、蟇股、木鼻・拳鼻、手挟み、実肘木、虹梁、などなど・・・・これらは、時代ごとに異なる形をしているため、絵様を見ると建てられた時代が、おおまかに推測できたりする。上にあげた部材は、絵様の出現が古い順番に並べている。懸魚や蟇股や虹梁は奈良時代の建築にはすでにみられる、古い部材である。しかし、積極的に彫刻がされるようになるのは、蟇股は平安時代、実肘木・虹梁は桃山時代以降と思われる。鎌倉時代に、大仏様と禅宗様が伝えられ、木鼻が使われはじめる。大仏様では、繰型だけのシンプルなものであったが、禅宗様では当初から渦を彫った装飾的なものであった。鎌倉時代末期に手挟みが使われ出し、桃山にもなると前述のように実肘木や虹梁にも彫刻をするようになる。
寺院

社寺建築をつくることの昔と今 変わるものと変わらないもの

仏教においては、鎌倉時代までは、新しい宗旨が伝わったり興されたり、思想史的にみてダイナミックな時代だったのではないかと思う。それまで伝統的だった教えと、新たに大陸から輸入された教えで議論が行われながらそれぞれが強化されて、新たな宗旨が定着するとともに古い宗旨も残る。そういった行いそれ自体が切実な意味を持っていたのではないか。