神社

奈良県

重層的な歴史を体現する建築 大直禰子神社社殿

この日の主目的は大神神社摂社大直禰子神社である。読み方は、「おおたたねこじんじゃ」である。ここは、一般には若宮と呼ばれていて、大神神社の主祭神である大物主神の御子大田田根子命を祀っている。大直禰子神社には社務所と、一棟の社殿が建つ。鳥居から社殿は一本の軸線上に並び、社殿の周囲には高木が立ち並ぶ。後述する通り、この社殿は以前はお寺の建物であるので、鳥居越しにお寺の建物が見えるという不思議な景観である。
奈良県

穏やかな佇まいの南北朝時代建立の神宮寺 富貴寺本堂

まず目に入ってくるのは奈良らしい寄棟造の瓦屋根であり、また複雑な組物を使わずに舟肘木で丸桁を受ける点などから和様を感じさせるたたずまいであるが、長押を用いない点、扉は桟唐戸とするなど禅宗様の特徴も併せ持つ。向拝蟇股は、奈良近辺の中世建築にふさわしいオーソドックスな形をしている。水引虹梁も同様に、直線の袖切だけのシンプルな意匠であり中世らしい古典的な形である。
寺院

社寺を彩る彫刻についての検討事項

社寺建築では、古くからいろいろな部分が絵様(えよう)≒彫刻によって飾られてきた。懸魚、蟇股、木鼻・拳鼻、手挟み、実肘木、虹梁、などなど・・・・これらは、時代ごとに異なる形をしているため、絵様を見ると建てられた時代が、おおまかに推測できたりする。上にあげた部材は、絵様の出現が古い順番に並べている。懸魚や蟇股や虹梁は奈良時代の建築にはすでにみられる、古い部材である。しかし、積極的に彫刻がされるようになるのは、蟇股は平安時代、実肘木・虹梁は桃山時代以降と思われる。鎌倉時代に、大仏様と禅宗様が伝えられ、木鼻が使われはじめる。大仏様では、繰型だけのシンプルなものであったが、禅宗様では当初から渦を彫った装飾的なものであった。鎌倉時代末期に手挟みが使われ出し、桃山にもなると前述のように実肘木や虹梁にも彫刻をするようになる。
寺院

社寺建築をつくることの昔と今 変わるものと変わらないもの

仏教においては、鎌倉時代までは、新しい宗旨が伝わったり興されたり、思想史的にみてダイナミックな時代だったのではないかと思う。それまで伝統的だった教えと、新たに大陸から輸入された教えで議論が行われながらそれぞれが強化されて、新たな宗旨が定着するとともに古い宗旨も残る。そういった行いそれ自体が切実な意味を持っていたのではないか。